「先生」のブログ

最近、読んでいるお医者さんのブログ。確か、自分の日記に「新生児」という言葉を書いたのが「はてな」のキーワードに引っ掛かってて、そのキーワードを含む日記からリンクがはってあって……という経路でたどり着いただけだったのだが、偶然にも近所の病院(それこそ新生児期の娘を連れて一度だけ行った)のNICU勤務のお医者さんで、しかも同窓(学部はもちろん違う)同年代らしいということで過去にさかのぼって一通り読んでみた。
興味深い。
トラバやリンクなどをたどって、他にもお医者さんが書いているブログというものがいっぱい存在することも知った。とても深追いをする気にはならないのだが、今更のように、ブログって世の中に広まったんだなあ、すごく沢山の人がいろんなことを書いているんだなあ、としみじみ思った。しかし、ブログが広まろうが何しようが、仮にも「先生」と呼ばれる職業の人は、よほどの気遣いをもって文章を構築できる技量がないと、その職業的日常を公開ブログに書くのはあまりにリスキーだと思う。その個人が特定されなきゃいいっていうもんではなくって、その職業の「聖性」を破壊してしまうだろうからだ。実際、このリンク先ではないが、破壊しているサイトというのも見かけた。
医者、教師などの立場の人を「先生」と呼ぶのは、少なくとも私はその職業の聖性を認めるからである(だから弁護士や政治家は私にとっては先生ではない)。聖性がなければ、なんの因果で赤の他人に裸を見せたり、赤裸々な日常(最後の生理はいつだったかなんて!)を告白したり、無様で出来の悪い答案を見せたり、指導に心から従ったりできるであろうか。私自身は両親教師であるから、教師も人の子とはよーっく知っているが、でも教師には職業的立場にある間はその仮面を外さないでほしいとはやはり思うのである。
ブログを書いているときの「聖職者」は、今は仮面を外した時間であると思っているのかもしれないが、そうではない。ブログでその職業的ことがらについて言及するかぎり、読者(この場合は特に、患者としてしか医療に関係することのない一般市民)は「仮面をつけたその下で本当はどんな顔をしているのか」を垣間見ているという立場のほうが近いはずである。その顔が表の仮面よりも人間味溢れていれば、聖職者に魅力をプラスする興味深い記述となるだろうが、その逆は目もあてられない。「聖職者」ブロガーのどのくらいの方がそういう自意識を持っていらっしゃるのだろうか?
私はやっぱり「聖職者」にはそれらしくしておいてほしいと思う。教師が人の子と知りながら、自分の子には先生を敬うように教えると思うし。それにふさわしい教師や医者であってほしいと切に願います。