忙しい一日

朝、久々に2人揃って保育園に元気に行ってくれた。うちに帰って仕事を始めて電話が一本かかってきて仕事が一件終了してほっと一息ついたら再び電話。父からだ。めずらしい?
「貞永寺(地名)のおじいちゃんが亡くなった」
は?
マジで頭が働かなかったのだが、97歳になる母方の祖父が昨夜亡くなったそうだ。年末だし明後日が友引なので今夜が通夜、明日が葬式なんだと。ちょっと待て〜! 幸い(?)夫が今日はまだ寝ていて家にいるので相談することにして電話を切る。いろいろ相談した結果、今日の午後私が単身で出かけて最終で帰ってくることにした。その後の流れは以下の通り。

  • 家事と仕事のいろいろ締め。弔電を打ち、夕食のハヤシライスを作る。その他いろいろ(思い出せない)。
  • お昼、娘2の投薬に保育園へ。帰りに銀行に寄り買い物(薄墨筆ペンとか)をして帰ってくる。
  • 着替えて包んで出かける。市バス→京都駅→(新快速)→新大阪→(ハイウェイバス)→津山駅で父の車に拾ってもらう。

けっこうロスなく動いたつもりだけど、それでもお通夜開始ぎりぎりに到着した。帰りは岡山回りで新幹線で帰ろうと思っていたけど、津山線がまだ復旧していなくてバスの振替輸送だっていうし乗りはぐれても困るので予定変更し明日の朝イチのバスで帰ることにする。
お通夜はとにかく急だったので子ども(まるあ母きょうだい)は揃っていたけど孫(まるあいとこ)で間に合ったのは私とまるあ兄ともう一人だけだった。それでもいつもは広い田舎家の座敷がとても狭かった。如何に急だったか(正月準備はできていた、干し柿も200個ほどもできている、年賀状ももちろん出したあとだ、昨日の昼は畑に漬物用の白菜をとりに出ていた、などなど)という話をいっぱい聞き、更に自宅で倒れてそのまま亡くなるのが如何に大変なことであるか(救急車を呼んでしまったので警察も来た、検死官も来た、かかりつけのお医者さんも来たので大事にはならなかったがそれでも警察の人に保険の証書の在処を聞かれた、などなど)という話をいっぱい聞きました。
それでもまあ97歳(数えならば98歳)、直前まで元気、大往生という他ありますまい。おばあちゃんのときには顔を見られなかったけど、おじいちゃんにはちゃんとお別れもできたし、まずよかった。
お通夜のあと、父と津山の家で枕を並べて寝ました。