冬の手が

冬の手が空けた試験の中休み一人ぬくもりパロへ旅立つ

夕方のラジオのニュースで訃報に接しました。晩ご飯を食べている最中だったので危うく吹くところでした。
清志郎も衝撃でしたが、熱心なファンだったわけではなかったので「昭和は遠くなりにけり」とつぶやいたらまあおしまい。しかし今回はそういうわけにはいかないのです。
今日の一首は高校生の頃の私のことです。確か高校一年生の二学期末テストのある日、大雪が降ってその日のテストは取りやめになりました。もちろん次の日にはすぐ試験があるので、一日もうけたと試験勉強をしておけばいいわけですが、当時私は次兄の残していった遺産にどっぷりはまっておりました。
グイン・サーガ。当時既に20巻くらいは出ていたのでしょうか。*1
暗いけど妙に薄明るい独特の光加減の大雪の日中、家に一人、しんしんと降り続ける雪を横目にストーブにあたりあるいは炬燵に入りぬくぬくと読み続けたように記憶しています。グインを読んでいる情景を思い浮かべようとすると何故か冬のイメージばかり浮んでくるのですが、この時の印象があまりに鮮烈だったからかもしれません。とにかく初めて接するタイプの物語で、まさに耽溺しました。
彼女の他の著作には特に興味ないし、グイン・サーガも最近は本当におつきあいで読んでいるだけの状態だったけれども、それでも、訃報記事の中で「代表作グイン・サーガは未完となった」と書かれると心穏やかではいられません。
私の中のごく微量でごく若い頃に出来た部分ではあるけれども一部は確かにグイン・サーガで出来ている。
その構成要素の生みの親が亡くなったというのは、やはり自分でも驚くくらいの衝撃でした。氷室冴子さんの訃報の時もかなりショックだったけど、こちらはもう読まなくなって久しいからまた感慨が違ったしなあ。
というわけで(どういうわけか混乱してきましたけれども、とにかく)、栗本薫さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

*1:一番面白いあたりまでだったという話もある……。